小学校の時に、ひとみちゃんという友達がいた。 どんな字を書くのか説明するのがいやだと言っていた。 仁義の仁に、美しいと書いて仁美です、と言うのが図々しい気がすると。 自分のことを自分で美しいと言ってるみたいで恥ずかしいのだと。 それで、あえて美術の美と説明するんだと。 確かにそうかもしれない。 もし、自分の名前が優子だったら、自分で優秀の優と説明するのも、優しいの優と言うのも気恥ずかしい。 自分がそんな人間ではないから、優秀?優しい?と突っ込まれる気がしてしまう。 突っ込まれる前に優勝の優と説明してしまうかもしれないねと話した。 数日前に娘が男の子を出産して、半世紀も前のこんなたわいない話をなぜか思い出した。 娘夫婦は名前を考えるときに、音だけを聞くと男の子でも女の子でも通用するけど、字を見たら男の子だとわかる名前を考えたと言っていた。 我が家の長男が産まれたとき、職場の上司に男の子らしい名前だとほめてもらったけど、今は名前もジェンダーレスなんだと思った。 その長男。自分の名前を説明するときに、壮大の壮と説明して欲しいのに、別荘の荘のくさかんむりのないやつ、という言い方をしていた。 名前に込めた親の思いなど、まったくの無視だ。 きっと仁美ちゃんのご両親も、見た目もさることながら、心の美しい娘に育って欲しいと願いをこめたのだろうが。 娘夫婦も使った漢字に思いを込めたに違いないが、産まれたばかりの本人は大きくなって、どんな説明の仕方をするのだろうと想像するとちょっと楽しい。 さてさて、結婚して、大阪で暮らしているはずの仁美ちゃん。 あれから半世紀も過ぎて、すっかり図々しい大阪のおばちゃんになって、仁義の仁に、美貌の美で仁美でーす、なんて、しれっと説明しているかも知れない。 会うことがあれば、是非聞いてみたい。![]()